相殺できない場合:不法行為の損害賠償(509条)・差押えのあとに取得した債権(511条)・相殺禁止の特約

相殺(そうさい)は、互いに同じ種類の債務を負う二人が、重なる額を打ち消し合うことです。条件(相殺適状)がそろえば、一方の意思表示だけでできます(民法505条1項・506条1項)。ただし、法律が「この債権は相殺に使えない」と決めている場合があります。

ひとことで言うと、相殺できない場合は「どちらの債権が使えないか」で整理します。悪意による不法行為と人の生命・身体の侵害の損害賠償は、加害者の側から相殺に使えません(509条)。差押えが禁じられた債権も、その債務者の側から相殺に使えません(510条)。差押えを受けた債権の債務者は、差押えのあとに取得した債権では相殺を差押債権者に主張できません(511条1項)。相殺を禁じる特約は、悪意・重過失の第三者にだけ主張できます(505条2項)。

相殺の要件と方法の基本は弁済と相殺をわかりやすくで扱っています。この記事は、相殺できない場合の見分け方と、それぞれの例外(ただし書)に絞ります。破産のときの相殺は扱いません。条文は令和8年4月1日時点のものです。

身近な例で考えると

てつやさんは家具店を営んでいます。常連客のひなこさんとの間に、互いにお金を払う関係ができました。

人物立場持っている債権
てつやさん家具店の店主ひなこさんへの家具の代金80万円
ひなこさん常連客てつやさんへの貸金50万円
さくら信用金庫てつやさんの債権者てつやさんの代金債権を差し押さえる
おさむさん債権を譲り受ける人てつやさんから債権を買う

ふつうは、ひなこさんが「貸した50万円と、家具の代金80万円のうち50万円を相殺します」と言えば、ひなこさんの借りは30万円になります(どちらも支払日が来ているとします)。ここに次の出来事が加わると、相殺できるかが変わります。

  1. ひなこさんが自転車で不注意にてつやさんにぶつかり、けがをさせた。ひなこさんは治療費などの損害賠償の債務を負う。→ ひなこさんの側から、貸金50万円とこの賠償の債務を相殺することはできません(509条2号)。てつやさんの側からはできます。
  2. 同じ事故で壊れたのが、てつやさんの自転車だけだった(けがはない)。→ 不注意で物を壊した賠償は509条に当たらないので、ひなこさんの側からも相殺できます。
  3. さくら信用金庫が、てつやさんのひなこさんに対する代金債権を差し押さえた。→ ひなこさんは、差押えより前に持っていた貸金50万円なら、相殺をさくら信用金庫に主張できます(511条1項)。差押えのあとに取得した債権では、原則として主張できません。

1で加害者からの相殺を禁じるのは、けがをした人に、実際にお金を受け取らせるためと説明されます。相殺で消されると、治療費が手元に入らないからです。たとえるなら、509条は「この財布の中身は、相手の借金の穴埋めに回さない」という印です。ただし本物のルールでは、印が付くのは加害者の側から使う場合だけで、被害者が自分から相殺するのは自由です。

条文ではこう決まっている

言葉を一つ整理します。相殺する人が持っている債権を自働債権(じどうさいけん)、相殺される側の債権(相殺する人から見れば自分の借り)を受働債権(じゅどうさいけん)といいます。

  • 505条2項(特約):当事者が相殺を禁止し、又は制限する意思表示をした場合、その意思表示は、第三者がこれを「知り、又は重大な過失によって知らなかったときに限り」、その第三者に対抗できる。
  • 509条:①「悪意による不法行為に基づく損害賠償の債務」、②「人の生命又は身体の侵害による損害賠償の債務」(①を除く)の債務者は、相殺をもって債権者に対抗できない。ただし、その債権者がその債務に係る債権を他人から譲り受けたときは、この限りでない。
  • 510条:債権が差押えを禁じたものであるときは、その債務者は、相殺をもって債権者に対抗できない。たとえば給料は、原則として、支払期に受けるべき給付の4分の3に当たる部分の差押えが禁じられています(民事執行法152条1項)。
  • 511条1項:差押えを受けた債権の第三債務者は、差押え後に取得した債権による相殺を差押債権者に対抗できないが、差押え前に取得した債権による相殺は対抗できる。
  • 511条2項:差押え後に取得した債権でも、差押え前の原因に基づいて生じたものなら対抗できる。ただし、第三債務者が差押え後に他人の債権を取得したときは、この限りでない。

令和2年4月施行の改正の前は、509条は不法行為による債務すべてについて加害者からの相殺を禁じ、505条2項の特約は「善意の第三者」に対抗できないと書かれていました。511条も、差押え後に取得した債権では相殺できないという一文だけでした。今の条文は、509条の範囲を2つに絞り、505条2項を「悪意・重過失の第三者には対抗できる」とし、511条に2項を加えています。古い知識のままだと、3つとも逆の答えになりやすい所です。

どちらの債権が使えないか(一覧)

場面使えない債権相殺できない人条文
悪意の不法行為・身体の侵害の賠償受働債権(賠償の債務)加害者509条
差押えが禁じられた債権受働債権その債権の債務者510条
差押えのあとに取得した債権自働債権第三債務者(差押債権者に対して)511条
相殺禁止の特約特約で決めた債権当事者(悪意・重過失の第三者にも)505条2項

509条と510条は「受働債権」、511条は「自働債権」の制限です。509条と510条は、相手にお金を実際に渡させたい債権を守るための制限です。511条は、差押えをした人との優劣を決める制限です。この向きを先に決めると、問題文のどの債権が問題かが見えます。

当てはまる例・当てはまらない例

  • 当てはまる(509条):ひなこさんが自転車でてつやさんにけがをさせた。ひなこさんは、貸金債権でこの賠償の債務と相殺できない。
  • 当てはまらない(509条ただし書):てつやさんが、ひなこさんへの賠償の債権をおさむさんに譲った。おさむさんがひなこさんに請求したとき、ひなこさんは、おさむさんに対して持つ債権で相殺できます。債権者のおさむさんが、その債権を他人から譲り受けた人だからです。
  • 当てはまらない(511条2項):ひなこさんは、差押えより前に、てつやさんから頼まれて、てつやさんの別の借金の保証人になっていた。差押えのあとに保証債務を払って求償権を取得しても、その原因(保証の委託)は差押え前にあるので、相殺をさくら信用金庫に主張できます。
  • ひっかけやすい(511条2項ただし書):差押えのあとに、ひなこさんが、てつやさんに対する他人の債権を買い取った。差押え前の原因に基づく債権であっても、他人から取得した場合は相殺を主張できません。

似ているルールとの違い

511条と同じ形のルールが、債権譲渡にもあります。債権が譲渡されたとき、債務者は、譲渡の通知・承諾の時より前に取得した債権による相殺を、譲受人に主張できます(469条1項)。通知・承諾のあとに取得した債権でも、前の原因に基づくものなどは主張できます(同条2項)。「差押え」と「債権譲渡の通知」を入れ替えた形なので、並べて覚えます。債権譲渡の全体は債権譲渡の記事にあります。

抵当権者が物上代位で賃料を差し押さえたときは、511条だけでは決まりません。基準は抵当権設定の登記の時になり、賃借人は登記のあとに取得した債権では相殺を対抗できないとした判例があります。この場面は物上代位の記事で扱っています。

505条2項の「悪意又は重過失の第三者」という形は、譲渡制限の特約が付いた債権の譲受人に対する扱い(466条3項)と同じ考え方です。どちらも、善意でも重い不注意のある人までは守らない、という線引きです。

試験ではここをまちがえやすい

当サイトが、不動産適正取引推進機構が公開している宅建試験の問題(昭和63年度〜令和7年度の40回、2,000問)を1問ずつ読んで数えたところ、相殺が主な論点の問題は4問で、直近10回(平成30年度〜令和7年度)では2問でした。ほかの論点の問題の中で相殺を副の論点として扱ったものは3問(直近10回で1問)でした(分け方は当サイトの判断で、公式の分類ではありません)。取り違えやすい形は次のとおりです。

  • だれからの相殺か:509条で禁じられるのは加害者からの相殺。被害者からの相殺はできる。
  • 509条の範囲:悪意の不法行為と、人の生命・身体の侵害の賠償だけ。不注意で物を壊した賠償は入らない。生命・身体の侵害なら、債務不履行による賠償でも2号に入る。
  • 509条ただし書:賠償の債権を譲り受けた人に対しては、加害者からも相殺できる。
  • 511条の基準:差押えの前に取得したか。差押え後でも、前の原因に基づく債権なら主張できる(他人から取得したものを除く)。
  • 特約の第三者:悪意か重大な過失がある第三者には特約を対抗できる。改正前の「善意の第三者には対抗できない」と混同しない。

○✕でたしかめよう

問1(このサイトのオリジナル問題)
ひなこさんが自転車で不注意にてつやさんにけがをさせて負った損害賠償の債務について、てつやさんがその債権をおさむさんに譲り、おさむさんがひなこさんに支払いを求めた。ひなこさんは、おさむさんに対して弁済期の来た貸金債権を持っているので、これで相殺できる。

答え:○ 人の身体の侵害による損害賠償の債務者は、相殺をもって債権者に対抗できませんが、その債権者がその債務に係る債権を他人から譲り受けたときは、この限りでないとされています(民法509条2号・ただし書)。債権者のおさむさんは、てつやさんから賠償の債権を譲り受けた人なので、ひなこさんは相殺できます。けがの賠償だから加害者からは一切相殺できない、と本文だけで考えると✕にしてしまいます。てつやさんが債権を持ったままなら、ひなこさんからは相殺できません。

問2(このサイトのオリジナル問題)
ひなこさんは、てつやさんから頼まれて、てつやさんの銀行からの借金の保証人になったあと、自分に対するてつやさんの代金債権(支払日は過ぎている)をさくら信用金庫に差し押さえられた。差押えの後に保証債務を履行して求償権を取得した場合であっても、ひなこさんは、この求償権による相殺をさくら信用金庫に対抗できる。

答え:○ 差押え後に取得した債権でも、差押え前の原因に基づいて生じたものであるときは、第三債務者はその債権による相殺を差押債権者に対抗できます(民法511条2項)。求償権そのものは差押えの後に生まれていますが、そのもとになる保証の委託と保証契約は差押えの前にあり、これが「差押え前の原因」に当たります。「差押え後に取得した債権では相殺を対抗できない」という511条1項だけで考えると✕にしてしまいます。差押え後に他人の債権を買い取った場合は、同項ただし書で対抗できません。

問3(このサイトのオリジナル問題)
ひなこさんのてつやさんへの貸金債権には、2人の間で相殺に使わないという特約がある。この債権を譲り受けたおさむさんが、てつやさんへの自分の代金債務と相殺すると主張した場合、おさむさんが特約を知らないことに重大な過失があっても、てつやさんは特約を対抗できない。

答え:✕ 分かれ目は、特約を対抗できる第三者の範囲です。相殺を禁止・制限する意思表示は、第三者がこれを「知り、又は重大な過失によって知らなかったとき」に限り、その第三者に対抗できます(民法505条2項)。正しくは、おさむさんに重大な過失があれば、てつやさんは特約を対抗できます。令和2年4月施行の改正前の「善意の第三者に対抗することができない」という書き方で答えた文です。

この分野の○✕は、宅建の5分○✕ドリルの「権利関係」で続けて解けます。

まとめ

  • 悪意の不法行為・人の生命身体の侵害の賠償の債務者(加害者)は相殺できない(509条)。被害者からはできる。債権者が他人から譲り受けた債権なら加害者からもできる(ただし書)。
  • 差押えが禁じられた債権の債務者は相殺できない(510条)。
  • 差押えを受けた債権の第三債務者は、差押え前に取得した債権なら相殺を対抗でき、差押え後の債権でも差押え前の原因に基づくものなら対抗できる(511条。他人から取得したものを除く)。
  • 相殺禁止の特約は、悪意・重過失の第三者に対抗できる(505条2項)。

次に読むなら、不法行為をわかりやすくがおすすめです。509条の前提になる不法行為の損害賠償の要件と、使用者責任のしくみを確かめられます。

参考にした公式の情報(2026年10月確認)

条文は、令和8年4月1日時点で施行されている内容を、e-Gov法令検索(法令API)で確かめています。改正前の条文は、同じAPIで令和2年3月1日時点の版を確かめました。

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